困った時の自分用メモ

読んだ本を考察してメモったり、自分でいじった物の感想をメモったりする場。週1更新を目指します。

ゲームエンジニアの話~筆者の10年間の振り返り2「新人期」~

筆者はゲームエンジニアとして働いている。一般的なレールに沿って、20歳で内定を貰って、そこからずっとゲーム業界でサラリーマンをしている。

このブログに来ている人は、大半はゲームの記事かVRの記事目当てで来ていると思うのであんまり興味ないかもしれないが、近々30歳を迎えるという事で、経歴の整理がてら過去を振り返ってまとめてみる事にする。

【新人期(大体、1年目~2年目終わりくらいまで】

重要な事は、仕事だけこなしていても、新人の間は得る物がたくさんある人が多いはず。無いと感じるのは、超優秀な人か、自分で必要な物不要な物を勝手に判断してしまっているだけだと思う。本当に得る物が無いプロジェクトは少ないはず。新人という扱いで済まされる身分の間に、何でも得られる物は得てしまおう。

 

〇その時期の印象的な出来事
新卒早々、会社の方針で給料が上がる。
2年目、先輩が近々別プロジェクト配属になる事を伝えられ、作業を引き継ぐようになる。つまり、2年目にして実質プロジェクトのクライアント側リーダーになる。
さらに、引継ぎがほぼ終わった2年目の春、17歳という若さの後輩君が配属してくる。

 

この後輩君に仕事の説明をしている時に、後輩君が急に「らんらんる~☆」と、ドナルドをやり始めたことは、恐らく一生忘れる事はないだろう。

 

この後輩君が入ってきてくれたことで、気軽に冗談言い合える人が出来たので、会社での過ごし方が楽しくなったので、とてもありがたかった。今でもたまに飲んでくれて嬉しいですよ私は。

 

このあたり、問題なく引継ぎや作業が行えたのは、先輩と上司の指導の賜物という事は言うまでもない。

 

〇やっていた仕事
運営中のPCMMORPGの開発。新卒だけど、すでに業務自体は半年以上携わっていたので、徐々に大きな機能実装を任せてもらえるようになる。また、配布するパッチデータの作成や大型アップデート時のインストーラーの対応も行うようになった。作業フローはすでに確立していたが、主導でチーム全体に呼びかけて提出物を作成するといった対応は、すでにこの時期から行っていた。あとは、先輩の代わりにリーダーMTGに出たり、先方との定例会議で作業報告などの仕事もしていた。

後輩君への指導は、さすがにまだ先輩が行っていたが、2年目の終わりくらいからは自分が引き継いで対応していたような気がする。

まぁ、普通に毎日残業1~2時間程度は当たり前でしたね。仕事は終わらないというよりは、何か仕事進めとかないと不安になるという感じですかね。今思えば、仕事の終わりがきちんと定義出来てなかったのでしょうね。

 

〇自分のスキルで役にたったこ
コミュニケーション関係。
・授業で習った、代名詞を使わないようにすること。
「あれ、これ、それ」を使わないで説明すること。
・論理的思考に基づいた、トラブルシューティング能力
要は、人に質問するときも、何でそれがわからないのかを検証した内容を基に説明できる、バクなども仮説をたてて道筋をたてて検証するなど。

これは、相変わらず。

 

〇仕事で学んだこと
先方(パブリッシャー)と開発(デベロッパー)の関係性の理解が進んだ。具体的に言うと、当然開発費(=我々のお給料)を出してくれるパブリッシャーが要望を伝えてくるので、それに対してデベロッパーは作業見積もりをだし、スケジュールを提案しながら、やるやらないや機能を入れる時期、無理するのかしないのか等の話を進めながら開発って進んでいくんだなという事。

 

また、アップデート用のパッチ作成作業をするにあたり、プログラム側だけ見てればいいわけではなく、デザイナーさんのグラフィックリソースや、プランナーさんが作成したイベントなどのテキストマスターデータの確認を細かく行うなど、プログラム外の仕事も大変という事を理解した。で、それらを先導しているという意識を持つ必要があると思った。

 

あとは、リアルタイム通信というか、ネットワークゲームの概念がこのあたりでようやくイメージが出来てきた。サーバーとクライアントの関係性とかそういうの。

 

あと、これは今でも覚えているのだが、当時プランナーさんが渡してくる時間がかかるような提案に対して「めんどくさい」「無理です」と、考え直してもらいたい時によく使っていたワードがあるのだが(これは、また別の運営管理を教えてくれた先輩の口癖でもあったので、つい真似してしまっていたのだろう)
ある日、エンジニア部部長の上司に呼び出され

・めんどくさいとはなんだ。金貰ってる仕事なんだから、めんどくさいとか関係ないからやれ

・無理ですというのも、よほどのことが無い限りプログラムでできない要望なんてものはない。時間がかかるか、かからないかでしかないんだから、まずは見積もりを出せ。最初から無理というな

の、2言のお叱りを受けた。今思い返しても、何も言えないくらいの正論です。これは、今でも肝に銘じて作業を行っている。

 

〇何を考えていたか
・仕事
仕事を任せてもらっていて、期待を裏切りたくないとかいう変なプレッシャーを課しながら仕事していた気がする。

・プライベート
⇒2年目の昇給の時に、10年後の年収を計算して絶望する。昇給は素直に嬉しかったが、1年間の激務を考えると、また同じような給与で1年過ごすのかと思うと、現実逃避をせざるを得なかった。

 

〇当時の能力
C/C++が読める。ポインタの概念が理解できる。左手だけタッチタイピングが出来る(MMORPGのチャットで鍛えた)。
ぶっちゃけ、技術能力で言えば成長なんてしていない。

仕事遂行能力の中に、技術能力は含まれているが、
技術能力だけあれば仕事が出来るかと言われると、それは無理だと思うよ。
 

〇勉強していたか
友達とSkypeしながらMMORPGたーのしー^p^p^p^p^p^p^

 

〇年収
会社方針ブーストがかかったので、年収月額面約252~260万。

 

最初のプロジェクトがとてもいい環境で幸運でした。悪い人は居なかったし、先輩も上司もとてもよく面倒を見てくださり、教育してくれました。学校とかと同じで、社会人としてうまく仕事できるかどうかは、人の出会い運もかなり大きいと思いますよ、ほんとに。

 

さて、次の年でまた幸運な出会いがあるわけだが、それはまた次の機会に。