困った時の自分用メモ

読んだ本を考察してメモったり、自分でいじった物の感想をメモったりする場。週1更新を目指します。

ゲームエンジニアの話~筆者の10年間の振り返り4「泥沼期」~

筆者はゲームエンジニアとして働いている。一般的なレールに沿って、20歳で内定を貰って、そこからずっとゲーム業界でサラリーマンをしている。

このブログに来ている人は、大半はゲームの記事かVRの記事目当てで来ていると思うのであんまり興味ないかもしれないが、近々30歳を迎えるという事で、経歴の整理がてら過去を振り返ってまとめてみる事にする。

【泥沼期(3年目終わり~4年目終わり】

重要なことは、炎上中に人を増やしても効果ないどころか逆効果という事。

 

〇その時期の印象的な出来事
業界全体として、スマートフォンゲームアプリ開発の初期の時期だと思う。
勤めていた会社もその例にもれず、スマートフォンアプリを新規開発するという事と、PCMMORPGの運営を縮小するという事が重なり、筆者はPCMMOチームからスマートフォンアプリ開発チームに移動となった。

 

このプロジェクトがきっかけで、ゲーム開発に従事する「プランナー」「ディレクター」「プロデューサー」「プロジェクトマネージャ」という類の肩書を持つ人間は信用しないで入ると心に決めた。そして、今でもそのスタンスは変わっていない。そして、その考えのおかげで、度々自分自身を救えてこれたと思う。

 

また、ちょうどその時期に「プロジェクト成果報酬制度」なる、いわゆる、プロジェクトの売り上げに応じたボーナスを特定期間ごとに支払うという制度が出た。が、これがきっかけで、会社に不信不満が出てくるようになる。

これらの事が重なり、最終的に転職を考えるようになる。

 

あと、スマフォゲー開発が熱くなった事で、エンジニアの価値が市場的に高騰してきたことをうけ、エンジニアだけ高額な給与改定が施された。また、給与水準の明確化もされた。

 

〇やっていた仕事
自社ライブラリを使用した、ネイティブスマートフォンアプリの開発。(当時、Unityはすでにあったが、実績が無かったので使用するという判断にならず)
本来は、作業者として入ったのだが、様々なカオスが重なり、結果プログラム作業が出来ないうえに半年以上のデスマーチとなった^p^まぁ、残業代美味しかったけどw


・初めて行うスマートフォン開発なのに、スケジュールにその辺りの懸念考慮がされていないのと、それを指摘しても、ディレクターは勝手に何とかしてくれのスタンスだった

 

・当初のエンジニアリーダーも、スケジュール管理などはやったことがなかったようで、スケジュール管理を代わりに行うことにした。

 

・また、何故か知らないが、このプロジェクトから「スクラム開発(笑)」を取り入れていた。結果、どう考えてもリリース日までに全機能入らないのに「スクラム開発やってるから大丈夫(ニッコリ」などという、意味不明な発言をディレクターやスクラムマスターが言い始めたので、デスマをするハメに。

 

このプロジェクトで、半年以上週6勤務をしていたし、残業も平均2~3時間となっていたので、残業代がとてもおいしかったです;p;

 

〇自分のスキルで役にたったこと
スケジュール管理をしてきたので、「現状がどうなっていて」「このままいくとどうなるか」の見通しが出来るようになっていたのが大きかった。

人に物をお願いしたり、上司にヘルプを求める理由も明確化するので、これは凄く助かった。

 

〇仕事で学んだこと
肩書きや立場で仕事を当てはめると失敗するという事。

 

例えば、上記で散々ディレクター担当者をディスっているが、本来彼のポジションはプランナーであり、面白い事を考えたりレベルデザインをする能力は高かったと思っている。けれど、その彼にはプロジェクトを管理する能力は無かった。

 

同じく、エンジニアリーダーだった方も、そもそも経験豊富な方であり、プログラム作業は出来る方なのだ。けれども、スケジュール管理や進行能力は低かった。

 

つまり、ゲームを作る作業を行う能力と、それを管理進行する能力は別スキルなのだ。

 

不幸なのは、誰もそのことに気づいていなかったのか、気づいたけれど仕方なく当てはめるしかなかったのか、そのまま進行してしまったことだろう。

 

そして、これは結果論でしかないが、このような事が原因で、会社はこのプロジェクトに従事した社員を10名前後失う事となった(転職や退職。筆者もそのうちの一人)
甘く考えていると、取り返しがつかなくなる事もある。

 

あと、スケジュールが溢れている部分に単純に人間を突っ込んでもうまく行かないという事。
人員補充で派遣さんが3名程きたが、その人たちの仕事を作ったり、その内容の確認をしたりで、結局作業は進展せずバグが増えて、むしろコストが増大した。(主にコミュニケーションコスト)
仕事を作る側と確認する側に余裕が無い限り、人を増やしても何の解決にもならない。それが単純な入力作業だったとしてもだ。

 

〇何を考えていたか
・仕事
⇒とにかく、プロジェクトが早く終わるようにという事
当時は、プロジェクトが発足する以上、何かしら成果物が出るように仕事をしなければならないという考えになっていたので、頑張って仕事していた。

ーーーーー余談

今の自分なら、現状の指摘だけして放置すると思う。なぜなら、リリースできなかったり大幅に遅れたとしても、それはエンジニアの問題ではなく、エンジニアリーダーの問題ですらなく、ディレクターとプロジェクトマネージャのミスだからだ。その埋め合わせで休日出勤や残業を命じられる事は別に構わないが、金を支払わなければならないのは会社であり、それで評価が落ちるのは、エンジニアではなくディレクター・プロマネのはずなのだ。

ーーーーー余談終わり

 

・プライベート
もうそれどころではない

 

〇当時の能力
技術力は大して変わらず。スケジュール管理を通して、スケジュール管理とは、物事を期間内に終わらすための物ではなく、

・現状の状況の把握
・それを元に、将来の見通し
・それで問題が出るなら、早めの対策をたてる

という為に行う物だという事を悟った。スケジュールは立てたから安心する物ではない。毎週見直して、アップデートしていくものなのだ。

 

〇勉強していたか
そんな余裕などない
 

〇年収
残業代ボーナスもあったが、無くても給与改定があったので、年収月額面約360万。

 

さて、次回は転職~適応期をお届け予定です。