10年業務をしてきて、ずーっと不思議に思ってきたことがある。
それは、口頭・文面問わずコミュニケーションを取っているにも関わらず、
双方が認識していることが合致していないケースが多発していることだ。
これは、新人・中堅・ベテラン・役職・男女に限らず発生している。
今回は、この「多人数間における、認識の齟齬」についての考察。
○議題
多人数間における、認識の齟齬
○問題提起
この議題が、何か問題を引き起こすのかどうかを考える。
結論だけ言えば、これで引き起こされる問題は
「作ってもらいたかった物は、これじゃない」だ。
つまり、本来防げたはずの余計な「コスト(金、時間、リソース)」が無駄に消費されるということが起きる。
これが、最終成果物でなければまだいいのかもしれないが、すでに議題のような状態が引き起こされている環境で、最終成果物にも同じ事が起こりえないと考えるのは、リスクマネジメントとしては甘い考えだと思う。
なので、この議題は解決を考えないと、いずれ大きな問題を引き起こすと考える。
簡単に言えば、契約違反による法的責任だ。
○問題発生原因の仮説
これは、筆者の考えだけ書く。
今までの経験から導き出した物だが、仮説でしかないので、正しいかどうかはわからないが、共感するかどうかは読者に任せる。
筆者が考察した原則
→自分が伝えたいことは、他人には正しく伝わらない
→仮に、自分が正しく伝えたとしても、相手は正しく理解しない
→仮に、自分が正しく伝え、相手も正しく理解したとしても、証明ができない
このことから、人とは全員
・自分が伝えたものが、相手にそのまま伝わったと思い込む
→しかし、それは正しく伝わっている保証はない
→正しく伝わったとしても、思い描いている物が同じ保証はない
→文面や仕様書など書面化しても齟齬が発生する
→書面で発生するのに、口頭だけでは余計に発生する可能性が高くなる
・さらに言えば、自分が伝えたいことが、自分で理解できておらず、自分の中だけでも間違っていて、さらに自分で気づけない
→結果、そもそも人に伝えられない
(余談:意味不明な資料を書いたり、論理破綻している発言をする人間に該当することが多い。筆者がイラつく原因は、これのせいかもしれない)
この原則を前提として理解しておらず、物事が伝わった/理解したと勘違いしている人間同士が双方で異なる認識を正しいと判断しているので、問題提起が引き起こされると仮定する。
ちなみに、当然だが筆者もこの愚かな人間の一人に含まれる。筆者は、この原則を前提にしているかどうかといだけであり人に物を伝える基本能力というのは、他の人間と大差ない。
○問題提起の解決定義
では、この問題を解決するにはどうすれば良いだろうか?
双方で認識していることが異なっている可能性があるというのが問題なのだから、双方の認識が共通化されているということがわかれば良いということになるだろう。
「全員の認識が共通化されている事」がわかれば、解決とする
では、「全員の認識が共通化されている事」がわかるというのは、どうすれば良いだろうか?
筆者は、
「実際の成果物を確認して、全員がそれぞれ思い描いている「これでいい」を得ること」
を提案する。
仕様書でも資料でも口頭でもなく、実際に動いている物が、それぞれが思い描いた通りに動いていることが、何よりの証明になると考える。
ちなみに、この意見に賛同して、「じゃあ仕様書いらないね!」と安直な思考に行き着いた場合は、別記事でそれを否定するので、そちらもきちんと読んでもらいたい。
簡潔に言えば、今回の問題を解決する為の手段として「仕様書を用意する」が不適切なだけであり、
「仕様書を用意する」という手段が必要な目的は別にある。
○解決の為に、取るべき手段
1. 中間確認をこまめに行う
これはもう、無意識的に取り入れている方も多いだろう。
筆者の考えは
「完璧な情報伝達は不可能であるとし、成果物の途中経過報告を挟んで、その都度認識の修正を行う」
だ。
いわゆる、中間成果物を確認しながら進めていくというやり方、アジャイル・スクラムとか呼ばれて実践されている物に近い考え方だ。
これを行えば、その都度全員の「これでいい」が得られれば、問題提起が解決されていると言える
2. 試験成績書を作成する
この考察を同僚に話したところ、「試験」をクリアしていれば、それが「全員の認識が共通化されている事」になるのではないかとの考えをいただいた。
筆者は、これに対しては
・中間確認をこまめに行う
→各々の価値観の上で明文化されていない状態で判断。
・試験成績書を作成する
→各々の価値観をすり合わせたうえで納得した内容を明文化した物で判断。
この「価値観を納得して明文化する」為の1手順がなされたかそうでないかの差だと考えた。
その1手順は、
・共通認識を持つべき全員が「試験項目をクリア=各々が思い描いている物が完成する」という事を納得する事
という事だ。
なので、本質的な部分は1も2も変わらないので、どちらの手段を取るかは、より成果を挙げやすい方を考えればいいだろう。
○余談
ここまで記事を読んでいただき感謝します。
ここまで記事を読んで、何か為になったり実践してみようと思った方がいたら、その前にまず念頭に入れておいてもらいたいのは
「この考察で書いている事の必要性や内容を、理解できない人間がほとんどだという事」
だ。つまり、その人たちに、この考えを理解して、心がけてもらうといった事を期待してはいけない。
理由を知りたければ、別記事で書いた「人を動かす」の記事も参考にしてもらいたい。
これを念頭に入れ、最終的に自分が得たい成果をあげるには、どのようなアプローチをすれば理想に近づけるのかを考えてもらいたい。
○まとめ
1. 人と人との意思疎通は、簡単だが同じ物を思い描いている保証がない
2. 人は自分が思っている事すら、まともに理解していない事もある
3. そして、ここまでの事を自覚している人間は少ない
4. 1〜3の事を理解していない影響で、問題が頻発するプロジェクトを10年間様々な現場で目撃してきた。それは、たまたま契約内容の抵触しない問題だった為、おおごとにはなっていなかった。このリスクをどう捉えるかは、読み手次第
5. 全員が思い描いている事が同じと証明するには、実物を見て全員が納得する事
この考察は、開発現場内で「完結」していれば、十分に役立つ思考だと思っているが、実はこの考察で伝えたい事はまだ半分だ。
開発現場で完結しないとはどういうことか、別の記事でご紹介する。