困った時の自分用メモ

読んだ本を考察してメモったり、自分でいじった物の感想をメモったりする場。週1更新を目指します。

ゲームエンジニアの話~筆者の10年間の振り返り5「転職~適応期」~

筆者はゲームエンジニアとして働いている。一般的なレールに沿って、20歳で内定を貰って、そこからずっとゲーム業界でサラリーマンをしている。

このブログに来ている人は、大半はゲームの記事かVRの記事目当てで来ていると思うのであんまり興味ないかもしれないが、近々30歳を迎えるという事で、経歴の整理がてら過去を振り返ってまとめてみる事にする。

 

【転職~適応期(5年目始まり~5年目終わり】

 

〇その時期の印象的な出来事
前回のデスマスマフォ案件も何とかリリースが終わり、運営(殆どアップデートするようなことはなかったが)が始まったタイミングで、プランナーの先輩の伝手で転職のお誘いがあり、転職した。この時期は、筆者に限らずヘッドハンティングが活発でしたね。

 

当時は、辞める事はかなり勇気がいる決断だった。長く居た会社だったし、エンジニアの上司や同僚はとてもいい人ばかりだったからだ。けれど、正直もうPDP(プランナーディレクタープロジェクトマネージャ)と一緒に仕事したくなかったのと、仮に違う会社に行ったとしても、持っているスキルと時間をかければ最悪は防げるはずの思考で、多分何とかなるだろうとも思ったので、決断した。

ちなみに、婚姻届を提出した次の週に、転職の為に会社に退職届を出すという暴挙だった(笑)

 

転職した事は今でも正解だったと思っている。何というか、エンジニアが売り手市場という状況もあったが、会社に縛られる必要のない職種なんだなと、今では思う事が出来るようになった。しかし、転職先の会社が前の会社よりもいい環境だったかと言われると、そこはどっちもどっちな感じとだけ言っておく。

 

〇やっていた仕事
ActionScript+3Dを使用した、ブラウザゲーム開発。Flash作成作業を行ったのは、これが初めてだった。が、調べる能力があれば、作業するだけなら何とでもなる。

で、前の経験を生かして、

・エンジニアリーダーの方は、前と同じで技術特化型の方だったので、早々にスケジュール管理や業務事項の伝達関連は自分が引き受けて行うようにした

・プランナーの方が仕様書けないのは分かっていたので、無い仕様は自分で概要を書いてプランナーの方に事後確認だけお願いした

この辺を行った。

ただ、最初の方は「仕様書ありきできちんとプロジェクトが回る」という幻想(!?)に夢を見過ぎてしまっていたため、これらの事に気づくのに時間がかかり、そこそこ炎上してしまった。まぁ、そんなに大変ではなかったが。
 

〇自分のスキルで役にたったこと
スケジュール管理はここでも役に立つ。
それ以外では、書類を書く機会が多かったせいか、仕様概要書程度なら仕事になる程度の物は短時間で書けるようになっていたので、それが役に立った。

後は、英語のサイトでも臆さず調べるという事かな。
Flashの3Dの情報は、海外にしか情報がなかったので、嫌でもやらなければならなかったが、プログラマーのいいところは、プログラムさえ理解できれば、何となく言っていることがわかる事だろう。

 

〇仕事で学んだこと
仕様書なんていう幻想の品をあてにしていたら、仕事が終わらないという事。
(ここまで来ると、プロジェクトの進め方そのものや、プランナーの存在意義という話にもなり兼ねないがw)

仕様書などなくても、自分で概要を書いて渡して確認してもらって実装するというプロセスで、自衛を行いながら何かしら作業は進められる。仮に巻き戻って手間が発生したとしても、やり取りの経緯を示せば、こちら側に非が無い事は簡単に明らかに出来る。(とはいえ、作業時間が伸びる事は無いので、結局休出が増えるのだが、何も対策しないよりは、はるかに楽になる)

 

後は、責任の所存をはっきりさせるという事。別に、責任を擦り付け合うとかそういう意味ではなく、例えば、ある仕様に関しての決定権は必ずそれを書いたプランナーさんにあり、その機能がそうなっている責任を負うべきという事。で、そうなっていた場合は、エンジニアはその決定にいつまでもとやかく言わない事。
例え、それがしょうもない糞仕様であることが素人目に見ても明らかな場合でも、それを決めた責任者なりの考えがあってのことという風に捉えるようにするという考えになった。

これは何も仕様の話だけではなく、画像リソースのディレクトリ構成の方針決定は、必要があれば自分で設計してリーダーに提案して確定するくらいで作業するといい。リーダーに何か考えばあればアドバイスが貰えるだろうし、ほとんどの場合、そんな事を見れいられるほど時間が取れていないので、責任だけ負うから勝手にしてくれとなると思う。

  

〇何を考えていたか
・仕事
⇒この時期から、会社への忠誠というか義理というか、そのような物はあんまり感じていなくて、誘ってくれたプランナーの先輩や、その伝手のディレクターやエンジニアの上司(この方たちは、またしばらくお世話になる事になる)達には報いようという気持ちで仕事をしていた。ただ、別に会社の事を蔑にしていたわけではなく、コネ入社で諸々スキップした特別待遇で入社しているという意識はあったので、それなりに会社の為になりそうなことは行ったと思う。

 

・プライベート
将来の金の事を何となく考えるようになるが、まだまだ特に行動せず

 

〇当時の能力
多分、それまで積み上げてきたものを利用して仕事をしていたし、わからない事はその都度調べていたので、調査能力が上がっていたのかな?

あとは、この時期から、初めて作業する環境・言語だったとしても、仮定と仮説で何が足りなくて、何をするにはどうしなければならないのかというのが、何となく理解できるようになっていた。

ただし、それは今まで作業していた分野に限りで、デザインリソース、特に3D周りにはこの能力は発揮できなかった。

あと、気づいたら、ブラインドタッチが出来るようになっていた(遅い) 
多分、エディターを強制的にGVIMにかえ、キーボードを糞忙しい時期にHHKBに変えたおかげだろう(思考停止

この、GVIMというコーディングエディターを仕事で実用的に使えるようになったというのは、今後も大きな財産となる。

 

〇勉強していたか
個人的に気になった事柄をいじる程度の事はするようになったと思う。
あと、本を技術書や自己啓発書など問わずに結構読んでいた時期でもあったかな。この内容と自身の今までの経験を織り交ぜて、今のエンジニアとしての仕事の取り組み方や価値観が形成されていると思う。
 

〇年収
前の職場の金額がギリギリ出せる範囲との事だったので、年収月額面約360万。

 

さて、次回は変化期~悩み期をお届け予定です。