困った時の自分用メモ

読んだ本を考察してメモったり、自分でいじった物の感想をメモったりする場。週1更新を目指します。

ゲームエンジニアの話~筆者の10年間の振り返り6「変化期~悩み期」~

筆者はゲームエンジニアとして働いている。一般的なレールに沿って、20歳で内定を貰って、そこからずっとゲーム業界でサラリーマンをしている。

このブログに来ている人は、大半はゲームの記事かVRの記事目当てで来ていると思うのであんまり興味ないかもしれないが、近々30歳を迎えるという事で、経歴の整理がてら過去を振り返ってまとめてみる事にする。

【変化期~現在期(6年目始まり~】

 

〇その時期の印象的な出来事
ちょっとまとめ過ぎている感があるが、頑張ってまとめていく。

とりあえず、Unityを使った初めてのネイティブスマートフォン向けアプリを作成した。
この経験が、今後も使うことになるであろうUnityの基礎になったと思う。

そして、このプロジェクトが終わって間もない頃に、各方面からヘッドハンティングされたので、自分の市場価値を参考にする為に、D〇Mさんへの面談をセッティングしてもらって面談した。

今の給料は、その時に提示された額に基づいた希望額になっている。

結局、D〇Mさんへは行かず、元上司のお誘いを受けて立ち上げたばかりの会社のお手伝いをする方を選んだ。

しかし、お手伝いしていた会社の仕事がうまく行かず、急遽出向をしなければならなくなり、初めての出向(業務委託だけど)をした。
ここで、Unityアプリを作成する為の基盤を自分なりに整えられたと思う。

その出向期間が終わり、また別の業務委託の仕事を受ける事ができ、こちらはリモートで行う物だったので、この時期に自宅勤務やほぼ個人の裁量が許されているような環境で仕事をさせてもらった。この時に、オフィスに定時に行き定時で帰る事の無意味さを改めて感じた。

また、ある程度移動時間に余裕が出来たりしていたので、興味があったLuaという言語とUnityを組み合わせるという実験がてら、自作アプリもリリースした。 

このように、3~4年の間で結構いろんな事が起きたので、仕事とプライベート両方で考え方にかなりの変化が起き、今に至っている。

 

〇やっていた仕事
Unityを使った2Dゲーム(描画領域は3Dだったりするが)の製作。
全てが初だったので、うまく行く事行かない事沢山あったが、それでもUnityとはどういう考えの基に作られているソフトウェアなのかというのが、何となく理解できた。 

ここでも、スケジュール管理などの全体管理を行ったが、多少時間は作れるようになっていたので、ある程度時間を作ってゲーム内の実装作業も平行して行った。
と言っても、そこそこ大変な作業だったことには変わりなく、それなりに残業や休日出勤もしたが、炎上やデスマというほどではなかったと記憶している。

この頃から、バージョン管理はSVNからGITに移行していたと思う。

 

その後は、作業員として出向。ここでもUnityを用いたブラウザ/スマフォの開発に携わり、ここでUnityを使った基本的な作業方法の習熟は完了したと思う。ただし、行っていた作業は、アセットバンドルの運用フロー設計と、それを実現するツールとゲーム側で使うコンポーネントの作成がメインだった。

出向してて感じたことは、Unityが開発のメインになってからというもの、企業が求めているフロント側の人材は、エンジニアではなくUnityオペレーターなんだなという事。どういう事かというと、誤解を恐れずに言えば、最終的な成果物さえ動いていれば、メンテナンスがしづらかろうが、まともなロジックになっていなかろうが、会社側からしたら問題ないという事だ(どうせ苦労するのは現場だし)。そして、それはUnityが使えれば(=なので、Unityオペレーター)学生だろうが10年目のエンジニアだろうが、会社からしてみたら誤差にしか見えないというわけだ。

その誤差の部分は、当然見えにくいコストの部分で大きく響いてくると思っているのだが、製品さえ作れればそんな事は些細なことと言わんばかりに、新卒・専門卒の人間が、きちんと設計も教えられないままに現場に投入されている。

このことの善悪はここでは問わないが、少なくとも筆者は開発中の余計な苦労を味わうのはごめんなので、そのようなプロジェクトに関わらない、関わったとしても最低限の自衛で済むように、Unityオペレーターではできない事を今後も学んで行くつもりである。

 

その後、業務委託でUnityを用いた2Dタワーディフェンスライクなゲームのゲーム部分と技術指導を任された。
ここで、ソースコード自動生成だったり、自作したステートマシンクラスを用いた状態管理だったり、今まで有益と思った物は取り入れていけた。

MTGの進行なども、ほとんど自分が行い、また、作業方法の提案なども行っていたと思う。

技術指導は、聞かれた事に対しては諸々回答したり、出張して質疑応答等で対応した。成果があったかどうか微妙な所だが、外部会社さんとのやり取りという事もあり、なかなか測定が難しいと思う。
 

〇自分のスキルで役にたったこと
持っているスキルは、何かしらの部分で役に立っていると思うので、これといって限定できるわけではないが、他のブログ記事にも単独で書いてある仕事の話の内容は、かなり役に立っていると思う。
・会議の進め方
・スケジュールの考え方
・人の時間を使わない、人の無駄な時間を削ってあげる
・質疑応答・問題提起の仕方

このあたりは、環境が変わっても自分の仕事のスタイルとして取り入れていける物だと思う。

 

〇仕事で学んだこと
これはまだ、自分の中で整理が終わっているわけではないのだが、人に物を教えようとしたら、口頭や文章で伝えるだけではだめだという事。

何故それをしてはいけないのか、何故そうしなければならないのか、このあたりは、問題を問題をきちんと認識させたうえで、それをするとどのように解決できるのか、という部分をはっきり認識させないと、何も変える事は出来ないと思った。
  

〇何を考えていたか
・仕事
⇒ゲーム制作=仕事と割り切るようになってきていたので、ゲーム制作に携われる事に何の感慨も湧かなくなっていた。なので、限られた時間内でどのように効率よくミスを少なく成果物が出せるか、といった事を焦点に考えて仕事をしていた。ゲームの内容に関しては、特に興味は無かった。


・プライベート
⇒給料の上げ方、働かないでお金を稼ぐ方法、お金でお金を稼ぐ方法、何が幸せで自分は何がしたいのか、など、本格的に働く時間を減らす努力と、働くにしても自分はいったい何がしたいのかという問いかけを自分にするようになっている(現在進行形)

 

〇当時の能力
一番は、何か問題が発生したり、興味がある事例事象が起きたら、それについて深く考察するようになり、そこから教訓を得るという事はずっとしていた。
また、それはプログラムや仕事という枠以外にも、日常生活にも同じ事が言えた。

 

〇勉強していたか
自作アプリを作ったり、ブログを書いたりしていたが、専門的な技術の勉強はあんまりしていなかったと思う。

 

〇年収
年収月額面約480万。

 

さて、次回は今まで書いた記事を元に、いったんのまとめを書こうと思う。