妻がこんなのを見つけてきた。
これの内容の是非については触れないが、
これを見て、夫婦間の平等という事について思う事があったので、
今回はその事について書いてみようと思う。
〇不満の原因
上記の例では、妻側も夫側も不満が出てしまっている。
妻側の視点は、自分が負える仕事(以降、タスク)量が、自分のキャパシティをオーバーしてしまっているが、
その事を理解して貰えない事に対して不満を感じているように思える。
夫側の視点は、平等に割り振ったと思っているタスクを、妻がこなしていない事が理解できず、不満を感じているように思える。
〇問題点の考察
夫が提示している「平等」。これは、「総タスクを夫婦間で均等に半分にする」だと定義出来る。
しかし、何を持って総タスクがきちんと半分になっているのかを測る指標が無いのが問題1。
仮に、総タスク量がきちんと半分づつ分散しているとしよう。
そうだとしても、この定義は「双方の能力が均衡している」という前提が無いと成り立たないというのが問題2。
家事育児をしている側が、もう一人の分身した夫が行っているのであれば、夫側の不満も理解できるし。
そもそも、もう一人の夫側(=妻側)に不満は発生しないだろう。
つまり、夫側が提示している「平等」の定義が、そもそも破綻している可能性が高い。
〇夫婦間における平等
平等の定義を「タスク量を単純に半分にして割り振る」では、上記の例のように、どちらか(場合によっては双方)のタスク消化キャパシティが溢れた時に、お互いに不満が発生するという事はわかった。
このことから、筆者が提示したい平等の定義は
「各自が持つタスク消化キャパシティに対しての割合が同率」
が、平等の定義として相応しいのではないかと思う。
そもそも、タスクが溢れている事自体が問題なのであるのだから、
その根本的な問題解決を図るべきである。
〇夫側を見て思った事
正直、上記の例の夫側の気持ちは理解できる。
何故なら、筆者も元々は同じような考えだったからだ。
自分が出来ると思う基準は、妻側でも出来ると思い、
それがなかなか達成されなくてイライラし、
最終的には、理解したわけではなく、半ば諦めに近い境地で妻側へ強要する事を止めたのだが、
徐々に、それが当たり前だよな(人間だもの)的な思考で考えられるようになった。
なので、自分のキャパシティ容量と相手のキャパシティ容量は異なるという事を理解しておく事だ。
同じキャパシティになるように努力するように要求する事は構わないのだが、
キャパシティを増やすのは、時間がかかる事だと思うので、長い目で見てあげた方がいい。
それでも容認できないのであれば、それは、そのような成長が見込めない人を選んだあなたの落ち度ですので、
諦めましょう。