困った時の自分用メモ

読んだ本を考察してメモったり、自分でいじった物の感想をメモったりする場。週1更新を目指します。

雑談〜日雇い仕事とリアル牧場物語〜

皆さん、牧場物語というゲームをご存知だろうか?
簡単に説明すると、

・畑を耕す
・お金を支払って作物のタネを買う
・タネを畑にまく
・水をあげて、作物を育てる
・育ったら収穫して、お金を得る
・得たお金で、より多くの作物を育てる
・これを繰り返していき、お金を集めてより大きな事ができるようになる(牛小屋建設して牛を買って、チーズ作ったりとか)

こんな感じのゲームだ。

今まさに、私はこれをリアルに体感するような生活を送っている。
(畑仕事をしていると言うわけではないです)

 

先月から会社からの給与振込が無い。


これは、原因が自分には無いにしても自己責任であり、甘んじてはいないが受け入れている為、その状態であるという事だけ伝わればいい。

 

そして、現在は日雇い仕事をして生活費の足しを確保している。

 

この生活が、まさに牧場物語の内容そのものであった。

 

何が言いたいかというと、働く為に必要な物は、全て金がかかる。

・食事
・交通費
・(家賃、必要最低限の出費)

つまり、序盤は「働く」為に働かなければならないのだ。

 

本来、生きていく活動というものは、自給自足であり、今日と明日生きる為の生産(食料など)を今日行い、生きるというのが基本である。

それでは安定しないと言う事で、知識を使い、余剰が出るように生産をし余力を生み出し、その余力を使って、更に生産力を上げるという活動を行うようになった。


なので、最初は嫌でも「働く(生きる)」為に働かざるを得ないと思うのだ。


これを意識しなくて済んでいたのは、保護者(親や国や制度)が保護してくれていたからだと思う。


この、「働く」為に働かざるを得ない状況を脱却できない状態が続くと、「働く為に生きている」という状態になるのだと推測される。


余力を生み出す理由は2つの考え方があるように思える。「安定を求める為」と「更なる余力を生み出す原動力を得る為」だ。


ただ、どちらも結果的には「余剰が出るように生産する」といった事が成り立つように行動するのでは無いかと思う。


この辺りの感覚は、サラリーマン(企業に正社員雇用される)を行なっていたら忘れてしまうものだと思う。


なぜなら、サラリーマンになってしまえば、会社に出勤さえしていれば、毎月定額お金が降ってくるからだ。


「企業に正社員雇用される」というのは、ある意味、「安定を求める為」の知識を活用した最終的に行き着くゴールなのではと思う。ただし、その安定は知識を活用しなくて良くなる代わりに、束縛という制約が発生する。


「更なる余力を生み出す」を知識を活用して行おうとした場合、今の状態では活用できる知識が無い。原動力となるお金を稼ぎ、時間も作ったとする。では、それらをどのように使えば、更なる余力が生み出せるのか、全く具体的な行動が導き出せない。つまり、それを学ばなければならないし、できるようになりたいとも思う。


○記事の要約
・働く理由は、余剰な生産を行い、余力を作る為だと思う事
・その余力を「安定」と取るか「更なる余力を作る為の原動力」と捉えるかは、人次第
・「安定」と取るのであれば、一般論で言えば正社員雇用を目指す物なのだろうと思う(昨今は事情が異なるとは思うが、日本の正社員は特権階級であると言う事を自覚した方がいい(らしい。同僚談))
・「更なる余力を作る為の原動力」と捉えた場合は、それを活用する方法をきちんと勉強する必要がある