困った時の自分用メモ

読んだ本を考察してメモったり、自分でいじった物の感想をメモったりする場。週1更新を目指します。

考察の話~図書館の存在は、作者にとって悪いことなのか~

筆者は、よく図書館で本を借りる。
そして、恐らく今後は、余程早急に読みたいだったり、図書館に無かったりした場合以外で、本を買おうとは考えない。

こう思った時、図書館という物は、作家にとって悪なのかどうなのか、という事を考えるようになった。
これは、本に限らず、CDやDVD、ゲームソフト、中古販売業者等、様々な事に言えると思う。

今回は、その取っ掛かりになる思考をまとめてみた。

まずはは、相関を考えてみる。

〇掲題1:「図書館があると」「作者の利益を阻害する」が、成り立つか

この文面だけで言えば、成り立つ。
本来、筆者が買うかもしれなかった本を、図書館がある事で無料で借りてしまったのだから、作者への利益は何も発生しない可能性がある。

〇掲題2:「図書館がなければ」「作者の利益となる」が、成り立つか

これが成り立てば話は終わりなのだが、そうもいかないのが難しい所。
これは、成り立たない。理由はいくつがある。

1. 図書館そのものが顧客になり得る

2. 図書館が無くても、作者の利益にならない本を得る手段はある
・レンタルサービス
・知人間での貸し借り
・古本屋、リサイクル事業

3.無料じゃないなら(≒値段が見合わないから)読まない、という選択肢がある

〇結論

つまり、
「図書館があると」「作者の利益となる」も成り立つし、
「図書館がないと」「作者を阻害する」も成り立つ。

今の在り方がベストだとは思えないが、図書館と作者の関係性は、単純に結論が出るものではなさそうだ。

〇図書館を利用することは、作者への冒涜なのか?

筆者の結論(意見)から先に述べると、冒涜でも何でもないから、ある物は利用すればよい、だ。
図書館と作者の間でベストな関係性が築かれていない以上、それを利用する側の善悪まで考えていたらキリがない。

ただし、この考察と「対価」に関する考え方は、また別なので注意が必要だ。

〇対価についての考え方

これは、本に限らずだが、物の対価をどのような捉え方をするかの話。
例えば、あなたがその本の作者のファンであり、その人が活動を続けられるように願うのであれば、それは図書館で本を借りるよりは、購入する手段を取るべきだろう。
要は、何かの価値を感じるのであれば、その対価はきちんと支払った方が良いという事だ。

〇制作側に立った時の考察

本に限らず、ゲームにも同じことが言えるが、これらは全て「娯楽」と扱われており、競合相手は同種ではなく、他業種の「無料コンテンツ」だ。それは、Youtubeかもしれないし、無料ソーシャルゲームかもしれない。

そんな現実があるなかで、ゲーム本来の価値だとか、本の価値などを昔に戻すなんてことは不可能だ。
であれば、今の「基本無料が競合」という現実を受け入れて、何をするのか考えないといけない。

また、制作側が勘違いしてはいけないのは、対価を支払ってくれた人が、必ずしも制作側のファンになったというわけではないという事だ。対価を支払ったのは、単純に「体験」に対してお金を支払っただけかもしれないし、暇つぶしとして、「時間」に対してお金を支払っただけかもしれない。

そんな中で、対価を支払ってもらうには、他に代替されない価値を提供する事。これに尽きる気がする。
それは、コアなファンを作る事かもしれないし、独自性が強い物を作る事かもしれない。ただ、その物に価値を感じていれば、人はお金を支払うと思う。逆に言えば、お金を支払ってもらえないと言うのは、その程度の価値しかない認定されているという証拠でもある。

 
※ここからは、メモと殴り書き。読まなくて良い。

〇図書館について
https://note.mu/tosh1965/n/n60a4da450207
この記事が本当かどうかはわからないが、

http://library.city.urayasu.chiba.jp/about/magazine/magazine86.pdf
こっちの記事は、ある程度信用しても良いように思える。

これを見ると、図書館も本を買う顧客になり得ると言ってよさそうだ。
図書館の否定は、顧客の否定になってしまう。

 

〇お金を支払うと言う事は、何かの価値と交換しているという事
1. 時間つぶしの為の、余暇との交換
2. エンターテイメントとしての、体験との交換
3. 有益な情報源という、情報との交換
4. 作者を応援する為の投資をするという、未来との交換

それぞれの価値基準は、各々によって変わるであろう。
ただ言えることは、1~3に関しては、趣味の多様化や、ネット普及による情報が無料で手に入るインフラがデフォルトになりつつあるという現実の前に、
その価値は、相対的に下がってきていると感じる。
競合相手は「無料」なのである。

〇もしかして、自分が何の価値に対してお金を支払っているのか、
または、支払われているのか、作者側と顧客側でも勘違いしている可能性がある

・筆者はトイストーリー4の映画を見に行った。
しかし、原作の著作者を応援しようとは思っていない。
なぜなら、5が出ても出なくてもどっちでもいいと思っているからだ。
この場合は、単純にエンターテイメントとしての、体験との交換と言える。

・筆者は本を読む。先日も本の感想の記事を書いた。これは、図書館で借りた本である。
筆者が本に感じる価値は、1か3だと思うが、ほぼ3が当てはまるだろう。
1は、他に競合がいくらでもあるからだ。

先に結論だけ言うと、図書館がある限り、筆者は今後、初めから本を買うという選択はしないと思う。
図書館で本を読んだ結果、それを手元に置いておきたいと感じた本だけは買うと思うが、
それも、物があればいいので、中古本でも構わないという発想になりそうだ。

では、仮に図書館が無かった場合はどうするか。
その場合は、恐らく買う。
ただし、相当情報を精査して、値段相応に読む価値があると判断した物だけを買うと思うので、
購入の精神的ハードルは相当上がる。

これが、購入目的が2や4であれば、また少し違ったのであろう。
つまり、筆者は本にエンターテイメント性を求めていないし、
本の情報を提供してくれている作者を応援しようとも思っていない。

・筆者は、とあるアーティストを応援している。
この場合は、2と4が動機に該当する。
CDを買ったり、ライブへ行ったりの理由は2の側面が強いが、4を行う手段が2以外に用意されていないというのもある。
仮に、クラウドファンディングで活動資金を募るのであれば、
一人のファンが応援をする程度の額は、見返り無しでも支払うだろう。
ただ、某国民的アイドルグループの熱心なファンのように、人生かけられる程の情熱というわけではないので、
2と4に対して、筆者の価値観に基づいた応援をするといった感じであろう。

全てにおいて言えるのは、筆者の中でも厳密な線引きの定義は無いが、
「そのお金を支払うだけの価値を感じている物は、その価値を感じている間は、理由はどうあれ対価を払う」
という考えの基で、お金を使っているという事だろう。