困った時の自分用メモ

読んだ本を考察してメモったり、自分でいじった物の感想をメモったりする場。週1更新を目指します。

雑談~食べ物の食器や盛り付けを拘る件について思った事~

筆者と妻は結構自炊する。
筆者と妻で異なる点の一つに、盛り付けに拘るかどうか、という物がある。
筆者は、食えれば何でもいいので、皿とかには適当によそうのだが、
妻は、それなりに綺麗に盛り付けるようにする。

また、人によっては食器に拘ったりする人も居るだろう。

この料理に対する、筆者から無駄と思える2つのトピック

・盛り付け
・食器

について、少し思う所があったので、メモがてら記事にしておく。

〇味の記憶って思い出せない
今まで人生において、それなりに美味い物、好きな物を食べてきたが、
じゃあどんな味だったかと思い出せるかというと、結構難しい。
厳密には、記憶では舌に味が再現されないので、甘かった、うまかったくらいの記憶は思い出せても、
実際にどんな味だったかみたいな詳細を思い出すのが難しい。

実際、今朝食べてきたアサイーボウルの味を思い出してみても、
アサイーシャーベットは甘酸っぱく、ハチミツ部分は甘く、飲んだハニーラテはシナモンの香り(嗅覚やん)で甘かった
くらいは思い出せるが、それが舌で再現されるかと言われると、されないのだ。

〇味の記憶って、感情?
筆者は、料理の記憶とは味ではなく、その時にどんな見た目でどんな感情だったかみたいな感じで記憶しているのではないかと思う。
甘かった、うまかった、しょっぱかった、というのは、味の感想というよりは、感情とリンクしている気がして、

甘かった・うまかった→気持ち良かった
しょっぱすぎた→ちょっと不快だった

みたいに、感情で食事をしているのではないのかなと思った。

意識して思い返してみると、普段自炊で食べている物なんて、動画見ながら、ながらで食べているせいで、
味や記憶なんて物は覚えておらず、先日食べた物すらすぐに思い出せず、
味すら思い出せない事なんてざらにある。
これは、その食事に何の感情も沸いていないからなのでは無いかなと思う。

うまかった→それだけで、別に何も感じない

これでは、記憶に残らないだろう。

多分、盛り付けや食器に拘るというのは、感情の方に訴えかける要素なのかなと感じる。

綺麗な盛りつけ、オシャレな食器で、とても気持ちよく食事が出来れば、
多分、雑な盛り付け、適当な食器よりも、食事の記憶が楽しい感情として残るのではないかなと思った。

特にオチなど無い内容だが、美味しい物食べる時は、楽しい感情とセットで憶えておけるといいよね、って感じです。